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怪異談 生きてゐる小平次 : ミニ英和和英辞書
怪異談 生きてゐる小平次[かいいだん いきているこへいじ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [かい]
 【名詞】 1. mystery 2. wonder
怪異 : [かいい]
 (adj-na,n) strangeness
: [い]
 (pref) different
: [せい, なま]
  1. (adj-na,n,adj-no) (1) draft (beer) 2. draught 3. (2) raw 4. unprocessed 
生き : [いき]
 【名詞】 1. freshness 2. stet 
: [たいら, ひら]
 【名詞】 1. the broad 2. the flat 3. palm
: [つぎ]
  1. (n,adj-no) (1) next 2. following 3. subsequent 4. (2) stage 5. station 

怪異談 生きてゐる小平次 : ウィキペディア日本語版
怪異談 生きてゐる小平次[かいいだん いきているこへいじ]

怪異談 生きてゐる小平次』(かいいだん いきているこへいじ)は、1982年(昭和57年)公開の日本映画中川信夫監督。日本アート・シアター・ギルド(ATG)の「1千万円映画」の1本として製作された〔『編集デスクから』、p.60.〕。
== 概要 ==
原作は鈴木泉三郎の同名戯曲である。この原作は、幽霊役で名を馳せた役者が殺されて幽霊となる小幡小平次の怪談話をアレンジし、「殺したと思ったのに何度でも生きて舞い戻ってくる」というシュールな味わいを持っている。歌舞伎では今もたびたび公演される定番の芝居のひとつであり、第二次世界大戦後の1957年(昭和32年)には、青柳信雄監督、二代目中村扇雀芥川比呂志八千草薫主演による『生きている小平次』がすでに東宝で映画化されている。本作は、2度目の映画化である。
1980年(昭和55年)、磯田啓二率いる独立プロダクション・磯田事務所がATGと提携作品を作ることになり、当時怪談映画の名手として知られていたものの、すでに第一線を退いていた中川信夫に監督を依頼した〔『編集デスクから』、p.60.〕。そうしたところ、中川が「やりたい」と出してきたのがこの原作だった〔。
撮影は翌1981年(昭和56年)、京都の映像京都などの協力を得て、大映京都撮影所にメインのセットを組み、ロケーションを織り交ぜて行われた。製作期間は7日間であった〔。「1千万円」という限られた予算の中で、中川は旧映画版以上に俳優をしぼりこみ、主演の3人以外はいっさい登場しない三角関係の心理ドラマを作り上げた。鈴木泉三郎は生前「『小平次』は怪談ではない」と語っており、中川とスタッフは、「死んでいないかも知れないし死んで幽霊になっているのかも知れない」という「幽明の境」を漂うような世界を描くために、軽量の16ミリカメラのアリフレックスを使用しながらも一切動かさないフィックス・ショットで全編を撮影し、過去の怪談映画で見せた躍動感あふれる移動映像は一切排した〔〔『作品研究 怪異談・生きてゐる小平次』、p.8-9.〕。また、そこには「低予算という逆境に(中略)自らの気持ちを引き締めるため」という中川の気概もこめられているという〔『地獄でヨーイ・ハイ! 中川信夫怪談・恐怖映画の業華』、p.14.〕。
本作は16mmフィルムで撮影し35mmフィルムにダイレクトにブローアップして劇場公開された〔『作品研究 怪異談・生きてゐる小平次』、p.13.〕。当時16ミリから35ミリへのブローアップをするには、いったん16ミリのネガフィルムを35ミリのネガフィルムにブローアップしなければならなかったが、本作ではその工程を省き、16ミリネガから直接35ミリプリントを焼いている〔。これは発想的には、スーパー16(16mmフィルム#スペック#スーパー16)のさきがけを行ったともいえる〔。この工程省略によって、ネガ引き伸ばしの際にもたらされる画面が引き伸ばされたような不自然感や粒子の粗さなどが解消され、よりクリアな映像が得られることになった〔。カラー作品では初の試みとされている〔。
撮影現場では、中川の方針により横文字の使用が禁止され、「テスト」「OK・NG」などの用語を日本語に変えなければならずスタッフは苦労したという〔。
映画が完成した1982年は、中川信夫が77歳の喜寿を迎えた年である。ATGから本作に企画で参加した多賀祥介らが呼びかけ人となって、同年5月18日に「中川信夫の喜寿を祝う会」が東京私学会館で開催された〔。所縁の映画人が多数参列し、中川には、生涯片時も離さなかった日本酒を1年分などが寄贈された〔『地獄でヨーイ・ハイ! 中川信夫怪談・恐怖映画の業華』、p.90.〕。中川はこの作品を遺作として、2年後の1984年に死去した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「怪異談 生きてゐる小平次」の詳細全文を読む




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